技能五輪全国大会in長野◆‘本の偉大さをを感じたこと

  • 2012.10.30 Tuesday
  • 10:36
 出場する学生にお守りを渡そうと、諏訪大社へ。DSC01843.JPG

感動したのが「御柱」です。

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昔、それこそ古墳時代や弥生時代かもしれませんが、

その当時の人々は、山に神がいるという考えがありました。

今でも、奈良にある大神神社(三輪神社)は、本殿がなくご神体が山です。

大変古くからある神社だと分かります。

山と言っても、神は実態が無く、木や岩などに宿ると思われていました。

私達の学園では、

12月8日に針供養を行いますが、一番最初に降神があります。

神が降りてくるという事です。

神が宿るという考えが今の時代にも残っているという事です。


最初は、鬱蒼とした山の中に人々は行っていたのですが、

いつからか神が宿った木を村に持ち帰るようになりました。

今でも東南アジアではこのような村の中心に柱をおく風習を残しているところがあるようです。

神は「柱」。そのため神様を数えるのは、「人(にん)」ではなく「柱(ちゅう)」です。

最初は柱だけをおいていたのが、神様がそのままでは恐れ多いと考え、柱の上に家のようなものを置くようになりました。

そして、その家の部分が本殿へと進化し、神が宿っている木が本来の神であるにもかかわらず、柱が徐々にその役割を小さくしていきました。

つまり諏訪大社の御柱は、その原型を保持していると言えます。

諏訪の人々がそれこそ1500年は超えるかもしれない月日をとだえることなく、この御柱の神事が続けてこられたことを考えると、感動してしまいました。

現代社会では、あまり意味をみいだせなくなってきている古くから継承され続けてきたものこそ、本当の核なんだと思います。

ずっと続いているという事は、人々にとって意味がある事です。
意味のないことは絶対になくなります。

諏訪の御柱を見て、文化を継承している諏訪の人々に敬意を表するとともに、途絶えることなく続いているものが数多くある日本の偉大さを実感しました。

今の時代、伝統工芸や日本的な風習などが評価されなくなってきていますが、今だからこそ見直して日本の良さを再発見していく時代だと思います。

学校のホームページはこちら。興味のある方は是非見てください。
きもの・和裁の学校


明治維新の原動力・薩摩の島津のすばらしさ

  • 2012.07.21 Saturday
  • 14:01
 先日大分経由で鹿児島に行ってきました。

鹿児島はとても興味のある県だったので、前々から訪問してみたい思っていました。

その理由が、

沖縄や東南アジアなど緑豊かな温暖な南方地域では、女系が強く、

ヨーロッパや中国など北方は男系が強い傾向があります。

北方は砂漠や草原など物が少ないので、リーダーに引っ張られて統率されるような文化です。

唐などの北方系の文化を汲んだ中国の王朝から文化を受け入れてきた奈良・平安時代の日本は

”天子南面す”といわれ大極殿や紫宸殿など宮殿など南に面して造られています。

背面に不動の北極星が控えているそのような意味があります。北の文化です。

鹿児島は、南方の温帯と亜熱帯地方なのですが、明治維新ではリーダーシップを遺憾なく発揮したすぐれた強い人物が数多く輩出されました。

その理由が鹿児島市内を歩いていて分かりました。

まずなんといっても島津がすばらしい士族教育を行っていたことがあげられます。

代表的なものが、日新公いろは歌です。
島津日新斉忠良公(1492年生)がつくり、いろはにほへと・・47首にまとめられています。
藩政時代の士族教育の教典になったものです。

いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずばかいなし
頭でっかちにならずに、学び実践をしなさい。という意味。

道徳をしっかり身につけ、実践を重んじています。
今も役立つ教えがたくさんあります。

そして、これを定着させるためのシステムとして郷中教育がありました。
先生がいなくて、少年同士の上下関係・仲間同士で教育を浸透していく仕組みです。

そして南に広がる海。これがフランシスコ・ザビエル訪日や琉球との交易など海外を意識し、開明的な思考がもてる環境だったと感じます。

そして存在感のある桜島。
毎日眼前に広がる桜島の存在は、鹿児島の人々の精神的な強さを養う、イメージ教育に役立ったと思います。この要素は意外と大きいと思います。

人づくりを意欲的に取り組んだ藩だからこそ、城にその精神が宿っています。
武田信玄の躑躅ケ崎館と同じように島津の鶴丸城は城というイメージの重厚な造りではなく、館のようにつつましやかな構造です。
人が石垣その精神が城に表れています。

そして自立の精神。外様であり関ヶ原の戦いで負けたにもかかわらず、これらの教育をベースにした島津の強さが家康も手を出せなかったのだと思います。

この島津の鹿児島を訪れて改めて、
強い国や企業を創るためには、精神的支柱になる教えが大切だと感じてきました。
まさにしっかりとした心の教育の時代です。









4/14 さくら満開の入学式

  • 2012.04.14 Saturday
  • 20:06
 4/10は入学式で、今年も全国から入学生を迎えることができました。

初日は大変緊張していたのですが、

5日も過ぎると徐々に慣れてきた感じがします。


例年入学式の時期は桜が満開です。


桜といえば、最近読んだ本でさくらの語源の説が載っていました。

「さ・くら」

さは、穀霊の意味。

くらは、座の意味。

穀物の神様が宿る花という意味なんでしょうか。

桜の咲き具合で今年の米の稔がどうなのか?

占い意味もあったと思います。


「桜」という言葉の中にその意味が込められていて、

日本文化の基底にある弥生時代から続く稲作文化が垣間見えてきます。

桜を見て、学生たちの学びの実りは今年はどうなのか?

豊作になるようにがんばりましょう。





日本庭園の原点「東院庭園」

  • 2012.03.15 Thursday
  • 20:31

ずっと行きたかった平城宮跡の「東院庭園」へ行きました。

奈良時代の「迎賓館」です。

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ちょうど梅の花が咲いていて奈良時代の空気が感じられます。

この当時は確か花見と言えば「桜」ではなく「梅」だったと思います。

昔のきものの原型の「小袖」には洲浜文様が使われていますが、まさにここがその文様の原点です。

中央にある中島が「蓬莱山」を模しています。

北側には遣水といって今でも城南宮などで行われる「曲水の宴」が行われていた小川があります。

ここを見て「京都御所」などを見ると「日本庭園」の展開がよくわかります。

つないで見ていることで歴史の深みが感じられます。

奈良は「日本文化の原点」です。




1/31 奈良のお水取り 今年の紙子

  • 2012.01.31 Tuesday
  • 21:06
 いよいよ寒くなってきました。

奈良でいちばん寒くなる時期が、東大寺二月堂のお水取りの時期と言われます。

今年も籠られる練行衆の紙子(和紙でできた着物)を4着つくらせていただき、先日納めさせていただきました。

お水取りは、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚によりはじめられました。

2012年−752年=1260年前から1度もとだえることなく続いています。

これは大変なことです。

東大寺の関係者の方からお話をお伺いしていると、
明治時代までは、興福寺が約1万石(大名クラス)で、東大寺は寺領約1000石で財政的にはそれほど楽ではなかったとのことです。明治時代には、あの大仏殿が雨漏りが大変で木のつっかえで支えていた写真が残っているとのことでした。

今から思うと想像がつきません。

戦国時代末期から江戸時代初めには、松永久秀の東大寺の焼き討ちの後、将軍綱吉の時代まで約100年間、大仏さんが見るも無残なお姿で雨ざらしでいらっしゃったとのことです。

今から思うと想像がつきません。

平和な時代はいいのですが、どのような人にも押しなべて時代の波が襲ってきます。継続の危機です。

東大寺さんのお水取りのお話を聞くと、継続する難しさとそれを乗り越える人の可能性を実感できます。

継続するもののよさをもう一度振り返ってみましょう。生きる上でのヒントが見つかります。

学校のホームページはこちら。是非興味のある方は見てください


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今ホットな源氏物語。吉田恒さんの美しい平安装束すばらしい。

  • 2011.11.25 Friday
  • 18:28

12月10日から映画「源氏物語千年の謎」が公開されます。

これから平安装束が注目されそうです。

ちょうど今、若き装束司の吉田恒さんの「有職故実」という展示会が開かれています。

場所は、京都と奈良の境あたりの京都側「三山木」より徒歩8分のTNADAピースギャラリーです。

吉田さんは装束司の枠を超え、アーティステックな活動を通して、次代を次ぐ世代へ伝統を今の時代に翻訳して伝えようと、さまざまな活動をされています。
今回の展示会もその一環です。

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地と柄と裏の色が大変洗練されて”美しい”。
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11月30日(水)まで開催されています。

展示に工夫されていて、いろいろな角度から狩衣など装束が見れます。

源氏物語の見る楽しみ方が1つ増えますよ。

来週28日(月)は京都御所へ学生と見学に行きます。


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1/9 初詣で感じた時代の風

  • 2011.01.09 Sunday
  • 00:16
皆さんあけましておめでとうございます。

今年は、皆さんにとってよい年でありますように。



毎年の初詣は、まず元旦は地元奈良の村の神社に行きます。

そして今年の2日は、兵庫の西宮神社にいきました。

十日戎で有名で、朝6時に太鼓の合図ともに開門され、

いっせいに本殿まで競い合う福男でも有名です。

大変な賑わいです。

そこで、目に留まったのが、「御掛鯛」というものでした。

291.JPG

えべっさんは海の神様で、脇に鯛を抱えているお姿です。

御掛鯛は、二尾の鯛を結んで縄で掛けられていました。

これは、文化五年(1908年)にはじまったとのことですが、暫くの間途絶えていたものを平成17年より再興されたとのことです。

まさにめでたいづくしで商売繁盛の象徴ですね。

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これは、逆さ門松です。

西宮神社独特のもので、十日戎の前日にえべっさんは、神馬に乗って神社までくるといわれているのですが、
門松が、通常の状態で置かれていると松がえべっさんの邪魔になって痛いので、えべっさんに対する思いやりとして門松を逆さにしているとのことです。

この門松も近年再興されたようです。

いかにえべっさんを大切にしているか地元の人たちの気持ちが伝わってきます。

神社から駅までの商店もすべて逆さ門松です。
312.JPG

地域も個性の時代ですが、昔大切にしていたものでも忘れ去られていた風習を今にあわせて再興することで「らしさ」が感じられるようになります。

まさに温故知新で地域活性化につながっていきそうですね。


本年も皆さんよろしくおねがいいたします。


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12/1 七五三のうれしい取り組みです。

  • 2010.12.01 Wednesday
  • 18:40
京都に会社のあるウエデイング会社の社長様から、
奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)で七五三を行うので、もしよかったら見学に来てくださいとお誘いを頂きました。

わくわくしながら石上神宮に伺いました。

石上神宮は、蘇我氏(そがし)とあらそい敗北した物部氏(もののべし)の神社だったようで、大変古い歴史のある神社です。
有名な七支刀(しちしとう)があり、370年前後に作られた刀で、東晋(昔の中国)や百済(昔の韓国)から送られたといわれています。
それこそ遷都1300年どころの騒ぎではありません。もっともっと古い神社です。
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国宝の拝殿です。国宝で七五三の神事が行われます。
子供たちの人生にとって貴重な経験になりますね。


今回は、地元新聞社×ウエディング会社×石上神宮のコラボレーション企画です。

これからますますこのような取組が出てくることが、ニッポンを豊かにしていくと思います。

本間物の歴史の舞台でのかけがえのない経験。

子供たちが育っていきます。DSC07770.JPG
七五三の光景は、着物を媒介として本当に幸せを感じるシーンです。

このような光景の中に、大原学園の卒業生の活躍するシーンが広がっていきます。


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10/19 みたらし団子の由来

  • 2010.10.19 Tuesday
  • 19:07
先日、京都に行った時、みたらし団子の由来を知ることができました。


みたらし団子の発祥の地?は、京都の下賀茂神社です。

平安時代より、下賀茂神社の糺の森にある「みたらし池」に湧きだす水玉を形どったのがみたらし団子です。
みたらし池は、葵祭の斎王代が禊ぎをする池とのこと。

大変歴史がある和菓子だったのです。

DSC07613.JPG

このみたらし団子の団子の刺し方が、団子の持っている本来の意味を教えてくれます。


団子は1串に5つ。
これは五体を表しているとのことです。
そのため、1つと4つに分かれていて、1つが頭を表しています。


昔は、夏越し祓の行事などで、半年の穢れをうつし川へ流す人形と同じように、団子を神前に供え、祈祷をうけた団子を家で食していたとのことです。


普段何気なく食べている「みたらし団子」ですが、このようなことを知ると大変新鮮に感じます。


色々なことを調べてみると”ニッポン”の文化のつながりが見えてきます。


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10/11  秋祭り

  • 2010.10.11 Monday
  • 00:37
 今日は、実家の秋祭りでした。

雨が心配だったのですが、すっきりとした秋晴れのいい天気でした。


朝8時に集合し、神社から布団太鼓をおろして組み立てます。
※屋根の部分の赤いところが、本来、布団を積み重ねたものです。
 その形から布団太鼓という名前の由来がありそうです。
 

そして、12時に再集合で、神主さんのお祓いを受けて出発します。

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秋祭りに参加すると、日本は農業を中心とした村単位の生活の中で、神や自然に対する感謝の気持ちと畏れを謙虚に持っていたことを実感します。

そして、今と違って昔は楽しみがほとんどなかったので、村人全員にとって秋祭りは年間でも最大のエンターテイメントだったんだろうなあと思います。

布団太鼓を曳いて、3時間をほど村を練り歩くのですが、最後のクライマックスは、布団太鼓の車輪をとって担ぐ男らしい迫力あるシーンです。

昔は農作業で鍛え上げられた男達が、村のプライドをかけて、
力の限りを尽くして担ぎあげ、上下に曳山を揺り動かし、
さぞ勇壮だったんだろうと思います。

今は、高齢化と過疎化と農作業の機械化などの影響で、担ぎあげるだけで精一杯です。年々担ぎあげている時間も短くなってきているような気もします。

少し残念です。

ただ、近年、地元の人でない人たちが、写真を撮っている姿が少し増えてきています。ニホンの伝統に回帰している流れかもしれません。
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布団太鼓をみると、
吉祥に関するモチーフがぎっしり詰まっていました。
牡丹・獅子・竹・虎・竜・十二支・日・月・麒麟・鳳凰・・・・・
かつて村人たちの秋祭りへの思いが伝わってきます。


最後は布団太鼓を解体し、元に戻し終了です。
その後は青空の下で打ち上げです。

懐かしいニッポンの原点の光景です。

今は虐待、子が親を殺す、親が子を殺す・・・おかしな事件がたくさんおこっていますが、大きな原因の1つが、考え方が個人中心になりすぎ、非常に狭い視野の自己中心的な人が増えてきたためではないかと感じます。

昔の村の濃い地域社会は、さまざまな人とかかわらざるを得ないため、人として鍛えられていたのではないかと感じます。
コミュニティに祭りのような1人1人が関わる仕組みがあることは、実は意外と大事なのかと感じてきました。

ニッポンの素を感じた1日でした。


学校のホームページはこちらです。興味のある方はどうぞ。








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